なっつんさん東京日記

なっつんの上京生活について書きます

すいとーよ、とは言わないけれど

この記事は 自分のことを好きなだけ話す Advent Calendar 2019 10日目の記事です。

 

12月のはじめに東京にきた。

その前後で仲良くなった東京住まいの友人と、先日こんな話をした。

「方言って可愛いよね」

「そういうけど実際『すいとーよ』とか空いとる駐車場探すときにしか言わんて」

 

*************************

 

私は九州の北の方にある漁師町で生まれ育った。

子供らしく好奇心の塊で、可愛いものが好きで、ハマったら一直線タイプの、良くも悪くも目立ちたがりな女の子だった。

地元は典型的な田舎の例に漏れず、人々は暖かく、人情に厚く、そして閉鎖的で保守的な場所だ。

そこで育つ子供たちは、人と足並みを揃えることと、同調することがとても上手かった。

習ってない漢字を書いたり習っていない方法で問題を解いてはいけなかったり、些末なことで学級裁判が起こった。

 

当時、プロフィール帳といって名前や好きなことや好きな人の有無を書いて交換するものが流行っていたのだが、これにも当然、渡し主やその交友関係にあるグループのリーダー格といった子に気を使って本当のことなど書けない。

一度正直に書いたら、「趣味:ピアノ」という記述が合唱コンクールで伴奏を私に譲った子に失礼だと詰め寄られた。

なぜか一人に言われて書いたものがみんなに共有され、その内容で責められる恐怖に加え、『好き』を禁じられたことが悲しかったのをよく覚えている。

謝罪と書き直しを命じられ、可愛いピンク色のペンで書いたのが、人生最初の嘘だった。吐き気がした。

問題の『趣味』の欄は、ピアノ以外だと服を雑誌で見たりコーディネートを考えることだったが、ファッションについて書くのは根暗でブスな私には似つかわしくないのだろう、そう思った。

『好きな食べ物』の欄には、渡し主にもらったチョコレートの銘柄。

『好きな人』の欄は、馬鹿にされたり本人にバラされそうで、空白にした。

 

そのあともたくさん失敗した。

テストの点を正直に答えて自慢と受け取られたり、演劇でやってみたい役に立候補したら実は出来レースが予定されていたらしくて顰蹙を買ったりした。

母に「人の気持ちが分からない」と相談すると、とても深刻そうな顔で私がなんとなくクラスで浮いているのはそれが原因よ、と言った。

曰く、私は発達障害で人の気持ちが分からず空気が読めず人を傷つけるが治療法がないので、人を傷つけないために言葉を極力発さないようして、頭を垂れて生きていくしかないらしい(母の主観です。また、そんなことは絶対ありませんと付記しておきます)。

母は、時に暴力や脅しといった手法を使いながら懇々と、丁寧に、私がいかにおかしな人間であり、異常であり、そのままではまともに「社会」で生きていけないことを教えてくれて、「それでもあなたをお母さんだけは愛している」と抱き締めた。

ずっと親元にいないと失敗をするし責任を取れない人間で、ダメで何もできない私にとっては、そうすることが幸せであると私は学習した。

 

すごく窮屈で、でも周りは平気そうだった。

きっと何かがおかしくて、全部私が悪いのだと思った。でも、何がおかしいのかはどんなに考えてもわからない。

どこにも居場所がないような絶望感がずっと喉の奥あたりて渦巻いていた。

 

中学生くらいから、私は人に無意味な嘘をつくようになっていた。

何が正解なのか分からなくて、どこがおかしいのか分からなくて、しょうもない嘘をつき続けた。

お昼休みにお人形の衣装を縫っていたら「友達がいないからだ」と言われたことが悲しくて、お裁縫をやめた。

そのうち、ダメ人間なのに趣味を持つということに自罰的になり、趣味全般を楽しむことを自ら禁止した。

少食なのに甘いものを食べているのが浅ましい気がして、給食のデザートを人にあげた。

そしてそれら『好きなこと』について、適当にでっち上げていった。

本当の自分が否定されるのを防ごうとしていた。

当然嘘がバレて信頼を失っていったり、叱責をうけることも増えたが、自分自身の『好き』を否定されるより苦しくなかった。

 

*************************

 

高校生になって、大学生になっていた。

もう地元で交友関係と呼べるものはほとんどなくなっていたが、すでに慢性的な窮屈さのために嘘をつくことが日課と化している状態。

この頃には友人と呼べる人ができ始めていたが、皆大人で、自分を持っていて、その姿にコンプレックスが加速した。

彼女らに同等の立派な人間だと思われたくて、浅ましい嘘を吐き続けた。

もう自分のことが分からなくなっていた。

アルバイトで余った少しのお金を、一般的に良いとされるものに使ってみては虚しくなる、そんな生活を送っていた。

 

偶然出会ったのが、ラブライブ!だった。

自分たちで衣装と曲を作って歌って踊る彼女らが眩しく、羨ましく、妬ましかったのを記憶している。

 

大学の同好会をたまたま知り合いが立ちあげて、その仲間と画面の中の彼女らの真似をして踊った。

大学生最後の秋に、コピーダンス団体として学園祭のステージに立った時、衣装の制作担当にしてもらって、メンバーの衣装の手直しや制作のお手伝いをさせてもらえた。

こっそりずっと持っていた裁縫道具のセットを、人前で初めて使った。お裁縫はやっぱりすごく楽しくて、役に立てることが嬉しくてたらなかった。

ステージが終わって、来年は一番前で応援するからねと約束した。

当時の恋人と出会ったのも、この団体だった。

間も無くしてここが、ラブライブ!と衣装を好きだと言っていい、数少ない居場所になっていった。

 

しばらくして、同好会に籍は置きつつもコピーダンスは引退した。

大学を卒業して就職したあたりから、人生がおかしくなり始めた。

割とどうしようもない事情で当時目指していた大学院進学を諦めて、慌てて適当なところに雇ってもらったところがとんでもないブラック企業で、抑うつ状態になり、すぐに休職することになったのである。

「お前はおかしい」と昔から懇々と言い続けてきたのにおかしいままだった娘に「やっぱりこうなった」「それでも愛している」という母も、母の望んだ娘そのものに育った妹も、何もかも嫌になって実家と縁を切った。

晴れた日の昼下がりに会社をやめて、両親の選んだ家から飛び出して、居候先を転々とするようになった。

帰る場所も仕事もないまま、ただ日々を浪費する。どこにも居場所がない日々に逆戻りした絶望感と罪悪感を嫌というほど味わった。

そのうちクレジットカードの支払いや携帯料金なんかのちょっとした出費で首が回らなくなって、借金が増えていって、絶対にやばいとわかっているのにキャッシングに手を出したり、眠れないしお金もないからからと夜の仕事をして、酒浸りになったりした。

彼氏にも散々迷惑をかけ、大変な思いをさせてしまった。

 

その頃、一線を引いていた同好会の人間関係で揉め事が起こった。

気付いたら彼と私以外誰もいなくなったそのグループで、悲しくて申し訳なくて、どうしたらみんながもう一回ステージに立てるか、そうじゃなくても一度汚された思い出を「そんなこともあったね」と笑える関係になれるか、毎日考えることになった。

 

結果的にリーダーとして、またメンバーを集めて再出発することに決めた。

老害と言われることは100も承知で、そもそも無理に繋ぎ止めることに意味はないかもしれなくて、そもそも続けたいとかなくならないで欲しいとか、全部エゴだ。私がやることが、そもそもやることが正しかったのかもよく分からない。

それ以前に、前述の通りのどうしようもない人間が、人をまとめ上げて前に立つことを恥ずかしかった。まともな仕事もしていない自分が趣味の団体で何かすることに自罰感情も当然わいた。

でもそれ以上に、ラブライブ!が大好きで、私の『好き』を受け入れてくれたみんなが大好きだった。

『好き』という最大のエゴがその時、自罰感情に初めて勝利した。

 

気がついたら少しずつ、周りに人がが増えていて、慕ってくれている(ような気がする)後輩にも囲まれていた。

ラブライブ!をよく知らない人にも、私を面白がってくれる人が増えて、メンバーが揃って、みんなが好きなことをグループで好き勝手してくれるようになった。

ありがたいことに、外部のイベントに呼んでもらる機会をいただいた。

また、自分たちで公演の準備をして、ステージに立てることが決まりまった。

もうきっとグループは大丈夫になったんだなあ、と思った時に、自罰感情は消えていた。

窮屈で苦しいばかりだった福岡に、気づけばたくさん居場所ができていた。

そして、私は新天地で生活を立て直すことにした。

 

*******************************

 

話が戻るが、今月頭に東京にやってきた。

迷惑をかけまくった恋人とも、一度決別することにした。

幸いにも一人で眠れる部屋と定職をいただいて、少しずつ仕事に慣れてきた。

ピアノはさすがに置けないけど、好きなアニメやアイドルの衣装を飾って、裁縫道具を並べて、少しずつ『好き』を取り戻している。

一応自活できている。恵まれていると思う。

 

あの頃のプロフィール帳に、今なら何を書くのだろう。

好きな食べ物は、グループのみんなとよく食べに行ったあんまり美味しくないラーメンと、美味しいけど量がえげつない唐揚げ丼。

趣味はお裁縫。特に、大切な人に着てもらうステージ衣装を作る時が一番好き。

すいとーよ、とは滅多に言わないと思うけど、きっとまたこの場所で『好き』がたくさんできるんだろうと思う。

 

どうぞこれから、よろしくお願いします。